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ダァ♪とぁたし(o^―^o)の//ラヴ//日記☆

ぁたしとダァの愛(≧∇≦)のmemoir(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 三日以上続くように頑張ります☆☆(ゝω・)vキャピ

ホワイトで働いてもツライってことは根本的に社会生活に向いてないってことなんだ

もう働きたくないな...


平日の朝

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退勤時刻

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帰ってきてすぐ

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寝る前

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朝起きてすぐ

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金曜日の朝

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金曜日の夜

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休日の朝

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休日の昼

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休日の夜

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日曜日の夕方

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日曜日の夜

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幸せの近道

幸せの定義は人それぞれあるでしょう。私にとっての幸せは自由と自立(自律)が確保された状態で好奇心や探求心を満たす物事に打ち込むことです。他にも美味しいもの食べたいとかドライブしたいとかいろいろありますけど、ひとまずこんなところです。

反対に不幸について考えてみると、幸福よりも単純なパターンしか無いのではないかと思われます。貧困、病気、暴力など身体や生命が脅かされる状態に身を置くこと、自分の尊厳を奪われ、権利が剥奪され、自尊心が保てない状況は誰にとっても不幸といえるでしょう。

事故のように避けられない不幸もあります。病気はいつ罹患してもおかしくないですし、交通事故に巻き込まれて身体に障害を負うこともあるかもしれません。通り魔に刺されて明日死んでしまうとも限りません。ですが、多くの不幸は意識的に避けることが出来るということもまた真理だと思います。

要らぬ不幸を避けるために、ちょっと戦略的に人生を設計すること、それでも避けえない不幸に見舞われたときには、自分の心をなるべく強く保つこと。これが幸福の近道といえるのではないでしょうか。

戦略的に考えるためにも、自分の心を強く保つためにも、物事を多面的にとらえる柔軟な視点と情報、情報に対するリテラシー、そしてそれらを包括する「知性」が重要であると私は考えます。

大変残念なことに、こういった知性が一番必要になってくる人―弱者はおよそそれを手にすることが出来ず(あるいは手にする必要性を感じず)、それとは反対に、特別に必要としなくても十分に幸福な人生を謳歌できるような人―強者ほど手にするのです。
それはまるでお金がお金のあるところに集まるように、情報も知性もそれをもとから手にしている者により集まる仕組みになっているのでしょう。これは、一概に本人のアンテナ感度の良さや意識の高さに還元される話ではありません。いわゆる勝ち組と負け組では、生まれたときからその社会資本の差が歴然としているということの証左なのです。

社会階層によって「意欲」に格差がある。これは社会学的に裏付けられた哀しい事実です。(『階層化日本と教育危機 不平等再生産から意欲格差(インセンティブ・ディバイド)社会へ』刈谷剛彦著)
親の収入≒社会資本の豊富な家に生まれた子は当然遺伝的にも優れた資質を持ち、その優れた遺伝的特質が最大に発現されるような申し分のない環境も手にしています。そんな彼らは畢竟、意欲的に物事に打ち込むでしょう。そして、意欲的に取り組んだことで結果を出し、それが正のフィードバックとなりさらに意欲的になる。
社会階層が低い子どもたちはこれとは全く逆のことが起きるのです。遺伝的云々はここでは措くとしても、貧困家庭、親が罵りあっているような家庭、母子家庭で十分に教育が受けられないような家庭、両親が教育に何ら意義を見出していない家庭に育った子どもたちが、どうして落ち着いて勉学に打ち込むことが出来るでしょうか。そして、学校で落ちこぼれてしまった彼らに正のフィードバックを与える教師は少ないでしょうから、ますます彼らは知性の力を信じないという態度をとることになるでしょう。知性に背を向けて歩くことが、彼らなりの自尊心の保ち方なのではないでしょうか。

知性に反旗を翻すことは、人生に役立つ武器をみすみす捨てていることと同義です。逆に、自分自身で考える力、誰に助けを求めればいいかが分かる力さえ持つことが出来たら、人生の不幸の大半は避けることができるといえます。

私の尊敬する北野武さんの母親、北野さきさんは息子たちに勉強しいい大学に進学することを強制しました。それは勉学こそが貧困を絶つ薬であると確信していたからです。

私はいい大学を出ることが幸せに直結するとは考えませんし、いい大学に行くことが、私の述べてきた「知性」の唯一の証明になるとはいいません。しかし、いい大学に行くことが無駄な苦労を避け、アクセス可能な選択肢を増やすことに繋がることは動かしがたい事実であるといえます。勉学することで様々な知識や情報を得ることは、自分のもつ刃や盾を強化することに繋がるのです。大学に入らなくても学問の仕方さえ覚えれば、それは出来ます。

日本はいま大学進学率が50%だそうです。そして高校の進学率はおおよそ8割以上と記憶しています。ですから、高校教育の質をいかに高めるかに血道をあげるべきなのです。
政府は大学無償化を検討するといっていますが、どうしようもないFランに無料で入学しても意味はないのです。Fラン大学にこれ以上の国費を投じるなんて笑止千万であります。そんなことをするなら、高校の授業をもっとハイレベルにする、また職業訓練的な学校に力を入れるべきと思います。

どうか、底辺高校こそ子どもたちにしなやかな知性を授けるような授業をおこなってあげてください。都立高校の御三家にいるような子どもたちは教師が授業中ずっと鼻くそほじってたって間違った道になんて進みません。なぜなら彼らには社会資本という厚いセーフティーネットがあるからです。

なにも高校で相対性理論量子力学教えろとか最先端のプログラミング技術教えろとかTOEIC900点以上とれる最強の英語理論を教えろとかではないんです。

もっと根本的に、生徒たちが「知性」の強さを信頼できるような授業をしてほしい。わかりやすい言葉にかみ砕いて何度でも教えてあげてほしい。彼らが自分たちの人生の避けられる不幸をかわしながら力強く生きていけるように。

今日はそんなことを考えながらアイス食べたり大学の課題をやったり本を読んだりして過ごした。

自閉症スペクトラム症候群

掲題、いわゆるアスペルガー症候群についての知見。

アスペルガー症候群というのは、一般にコミュニケーションや社会性に大いに障害があるとして認知されております。
人の気持ちが分からない、空気が読めない、他者を(心理的にも物理的にも)傷つける etc.

確かにそれは一部事実でして、基本的に他者との関わり方がかなり特徴的な人々なので、周りが振り回されがちというのは当てはまるでしょう。
空気も読めない(読まない)ですし、なぞのこだわりが強いことも彼らの特性の一つです。(あ、でも傷害や殺人といった重大な犯罪と親和性があるとかは認めたくないです。たぶん自閉症スペクトラム障害とは違う因子が(も)関係していると思います。)

今日はアスペルガー症候群の人達の魅力について書いてみたいと思います。

1. とても真面目で誠実である
アスペルガー症候群の人は基本的に超まじめです。また、これは「こだわり」にも通じるのでしょうが、自分が伝えようとする意図を「完璧に」正しく伝えようとする傾向があります。
ちょっとした言い間違いや、自分の中での言葉の選択ミスがあった場合、「これは〇〇という意味です」とかなり精確に言い直します。聞いてる方は「そんな小さなことでこだわらなくても・・・」と思う時もあるのですが、なかなかに誠実で好ましい印象を受けます。

2. 人との交流を求めていないわけではない
本での知識だけだったときは、アスペルガー症候群の人は他者との交流を求めていないと思っていました。でも違うのです。彼らは不器用なりに、他者との心的な交流を求めています。(もちろん、自閉度が強い場合などはこの限りではありません)
アスペルガー症候群に限らず多くの発達障害の人々は、今までに様々な場面で排斥されてしまったり、からかわれてしまったり、失敗してしまったりで自己肯定感が低い傾向があります。
もちろん、恵まれた環境で自分の特性に10,000%正直に生きてきたタイプは自己肯定感も高いでしょうが、そんな人は提携発達であっても全体のうちのほんの一握りでしょう。いわんや発達障害者をや、です。畢竟、彼らは心を閉ざしていたり、失敗を恐れて人間関係を築くことを諦めたりしています。
そんな彼らを遠巻きに見ていると、「おや、テキさんなかなか閉じてやがるな」と思ったりするのですが、人間ですからね自閉症も。友人が欲しいとか恋人がほしいとか、思っているんですよ。気にかけられれば、それが過度でなければ嬉しいし、無視されたり嫌味言われたりすれば傷つくんです。
そして、彼らは表情に乏しいので、うれしい(^◇^)、楽しい(*^^)v 大好き(*´з`) みたいな表現がなされず、提携発達の方々からすると、「あれ、あたし悪いこと言っちゃった?」「やば、地雷踏んだか」「なんか怖い、関わらんとこ」ってなってしまいがちです。でもね、内心では喜怒哀楽が渦巻いているのです。人間だもの。

もっと書きたかったのですが、ADHD脳ではここが限界です。飽きてきて頭が働かなくなってきてしまいました。

要するに私が言いたいことは、発達障害だからといって心がないわけではないってことなんです。入出力の仕方がマジョリティの方法とは違うだけで、彼らも彼らなりのやり方で人を愛しているし慮っているんです。

アスペルガー症候群の人は本当に大変だろうなと思いながら、それでも懸命に生きてる彼らのいじらしさや真面目さが本当に愛しくも感じます。

定型発達者に善人も悪人もあるように、アスペルガー症候群にも善悪があります。ですので、アスペルガー症候群がみな良い人と言うつもりはありませんが、あまり誤解をされないようにしてほしいなと思ってます。

彼らが不当に貶められないように、もっと理解が進んでいくといいなと思います。

最近、発達障害については本当に環境次第だと思っています。確かに著しく自閉度が高い自閉症スペクトラム障害の当事者や、著しく社会適応が(というより会社適応が)困難なADHDも居ますので、そういう場合は環境云々では片づけられない問題もあります。
ただし、軽度や中等度の発達障害に関しては、環境とうまくマッチが出来れば「障害」という枠組みで捉える必要が無くなる場合も多いのです。そこが定量的に可視化できる他の障害と違う困難さでもありユニークさでもあるのですが。

個人的な経験から申しますと、自分の生きるべき水辺を見誤るとDeathです。
私の場合、臨床心理士さんにも言われましたが職場環境次第でまたADHD状態になるよとのことです。

要するに発達障害であれ定型発達であれ、みな、それぞれの特性(遺伝子と言い換えてもよろしいでしょう)をのびのびと活かせる環境で、なるべく幸せに生きてほしいということなんです。

特に、自分ってなんか凸凹激しいよなあと思う人はマジで環境にはこだわって欲しい。「標準」に何ら心理的圧迫やら摩擦やらを感じずに馴染める人はいいんです。割とどんな環境でも不適応起こさずに暮らせると思います。
でも、そうじゃない、「標準」「普通」「世間」「空気」に馴染もうと思えば思うほどに、自分の内面に不穏な波が寄ってきてしまう人は他に何を捨てたとしても環境にはこだわって欲しい。そして自分のクセを受け入れて、折り合いのつく場所を探し続けてほしいのです。ジョブズおじさんも言ってました。Keep looking, don't settle.

とにかく今は日本の教育から見直してほしいと思っています。公立にしか通えない子で発達障害を持っている子に、彼らの才能の種を摘み取るようなことはしてほしくないのです。

あとIQ問題もあって、こっちにも色々と思うことがあるのですが、とりあえず今日はちょっと飽きたんでこの辺で。

lol

cocoloni.jp

 

1. 焦っている

→ まあ焦っている

 

2. 結婚を急かしている

→ 相手いないんで・・・

 

3. 見切りをつける

→ 見切りをつける相手がいないんで・・・

 

4. 高望みしない

→ 平凡

 

5. 変えられるところは変える

→ 変える相手g

 

溶けない自意識あるいはADHD

ぴえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

ふう。。。

 

 

私は以前から自分がおかしいと思って生きていました。普通じゃない。なんか変わってる。そう思っていました。
小学生くらいは自分がスタンダードというか、他人と比べたりしなかったので、自覚はありませんでした。
ですが、中学校、高校、大学、社会人・・・と求められる「一般像」「女性像」「社会人像」などに上手く適応できていない、合致できない、適応しようと思えない、適応しようとすれば心と脳がどうにも頑なにらめぇぇぇぇぇってなっちゃう自分に気づき自信喪失していく日々でした。

高校生~大学生くらいまでは心理学、脳科学の本を色々と読みました。心理的に問題があるか、脳がぶっ壊れてるかだと思ったのです。そのあとは遺伝に関する本も色々読みました。

私の家族もややOut of baseな人々で構成されており、こんな問題、ふつうの家庭では一つでも起こったら大騒動だよ?っていうことが複数起こっている完全なる機能不全家庭なので、遺伝子的に問題があるんだろうと考えたのです。

心理学的にも、脳科学的にも、遺伝的にも、私がアレな理由は説明が出来そうな気がしました。
ですが、どれも、納得は出来るが腑に落ちないという感覚があったのです。

 

そんなこんなで私は社会人になりました。

新卒で入った会社でやたらと凡ミスを起こしたのです。

よくよく考えれば、なんでこんなミスが起こるんだ?っていうようなミスです。自分でも「なぜ?」と思うのですが、原因が分からないんです。

だって指摘されるまでミスしていることにすら気づいていないから。
あとは頻繁な忘れ・抜けです。業務フローのどこかが必ず抜けてしまうんです。あと机の汚さもよく指摘されていました。(遠い目)

これは完全に脳がやられてるなと思いました。

藁にも縋る思いでGoogle先生に尋ねたのです。私はどうしてしまったのでしょうか?私はキチ〇イなんでしょうか?

 

先生のこたえはこうでした。

 

もしかして: ADHD

 

そのあとは貪るようにADHD関連の情報を漁りました。

 

当てはまる・・・

当てはまる・・・・・・・

当てはまる・・・・・・・・

当!て!は!ま!る!!!!!!!!!!!!!!

 

なんということでしょう。心理学、脳科学、遺伝では腑に落ちなかった私のパーソナリティの説明が、「ADHD」というスキームではほぼ100%可能なのです。
そして、私自身が、頭だけでなく身体性をもって納得ができたんです。


とは言うても、自分は普通に働いていますし自活もしてますので、基本的には一般枠の範疇に収まっているのだと思います。標準よりはADHD傾向が強いという程度でしょう。ボーダーライン上とでもいうのでしょうか。


特に医者にはかかってません。もし受診しても、日常に大きな障害は起こっていないのでADHDとは診断されないでしょう。あるいは、医師によっては軽度のADHDと診断するかもしれませんが。

 

そして診断の有無は自分にとってはどうでもいいことです。医療的にADHDでなかったとしても、ADHD特性がやや強いのであれば、それはそれとして配られたカードで勝負するしかないのですから。

 

「努力にはベクトルがあり、方向性を間違えれば結果は出ない。勝てる土俵を探し、そこで誰よりも努力しろ。」カリスマ塾講師の林修先生が著書に書いておられました。私も本当にその通りだと思います。

 

自分の脳の特性に無理のないフィールドで生きることが幸せにつながるんだと思います。

 

そんなことをふと考えた一日でした。

 

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ルーシー: 時々、なんであんたが犬なんかでいられるんだろうって思っちゃう...

スヌーピー: 配られたカードで勝負するしかないのさ・・・・・それがどんな手札であってもね

 

せめてテンパイはしたい。それがどんな配牌であってもね。

 

いいとこ日記

おもしろき こともなき世を おもしろく

 

夭折した維新の志士、高杉晋作が残した辞世の句とされています。高杉晋作といえば長州が生んだ英傑ですね。

そして長州といえば山口県山口県といえば我らが安倍晋三首相です。

 

一般的に、安倍ちゃんという人は「おもしろき」人とはみなされておらず、どちらかといば退屈な、何の変哲もない垂れ眉の愛国おじさんという印象ではないでしょうか

 

「退屈・・・」「でもどっちかっていうとリア充っぽい・・・」「神様はどこに導こうとしているのか。とにかく祈っています」そんなボーイズ&ガールズの評価が平均的安倍ちゃん像なのかもしれません。

 

さて、かように安倍ちゃんに対して辛口な国民が幸せを噛みしめるには、いったいどうすればいいのでしょうか。

 

こたえは「いいとこ日記」です。

 

「いいとこ日記」は、一日の最後に3つだけ安倍ちゃんのいいところを記す日記です。いや特に見つかりませんけども・・・という場合でもひねり出して書くのです。「割と長い在任期間」とか「日本を取り戻してくれる」とか、どんなことでもいいので「いいね!」にカウントして書くのです。

 

するとどうでしょう、退屈と思っていた犬顔の中にささやかな温もりが息づいていることに気づくことが出来るかもしれません。騙されたと思って1年「いいとこ日記」を続けてみれば、365日で実に1,095個もの「いいね!」が安倍ちゃんのなかに見出せるのですから、安倍首相ガンバレーにつながるのではないでしょうか。

 

また、この日記の大きな利点として「憲法改正」の気持ちが芽生えてくることが挙げられます。愛すべき国土に感謝、一億総活躍社会に感謝、ニッポンの豊かな伝統と文化への感謝、集団的自衛権に感謝、などなど・・・

 

感謝の気持ちは人の幸福に大きな影響を与えるという研究結果もあるようです。「いいとこ日記」は他者の善性に気付き、感謝し、幸せになるというポジティブなスパイラルへの入り口なのです。

 

というわけでさっそく私も安倍ちゃんのいいとこを記してみようと思います。

 

1. 愛妻家
安倍ちゃんといえばワイフと手を繋いで飛行機のタラップを降りてくる姿が印象的です。いま何かと世間を騒がせているあの問題でも、昭恵夫人をしっかり庇っているではありませんか。
もちろん世間体でそのように取り繕っている夫婦もあるでしょう。政治家にはそんな仮面夫婦はありがちなのかもしれません。でも安倍ちゃんは違います。彼は本当にあのお転婆な奥方を心から愛していると思いますよ。神様もきっとご存じのはずです。


2. 背が高い
首相はその国の顔です。企業の受付に美形が多いように、首相たるもの、ある程度形姿が整っていないと見栄えがしないというものです。その点安倍ちゃんは高身長というアドバンテージがあります。顔は迫力に欠けますが、上背がそこそこあるので高身長の外国首脳と並んでも見劣りしません。
トランプ氏の就任前、誰よりも早く駆け付けたポチ安倍ちゃんですが、そこまで卑屈な印象を与えなかったのは、ひとえに彼の身長のおかげだと思います。


3. 胃腸が弱い
日本人といえば胃腸が弱い、胃腸が弱いといえば日本人。切っても切れない因縁を体現するのが安倍首相その人なのです。彼は一度、道半ばにしてこの胃腸の病によって総理の職を辞することとなりました。

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病を得た人は、他者の痛みも感じ取れるようになるといいます。首相の職に就く者に強く求められるのは他者を理解し慮る心です。きっといま、安倍ちゃんは以前の彼よりもずっと国民の痛みを身近なものに感じていると思いますよ。和菓子屋。


最後に、冒頭の辞世の句には

すみなすものは 心なりけり

という下の句があります。これは高杉晋作ではなく、彼を看病していた野村望東尼が継いだとされています。

 

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

 

生きにくい人の世の中の可笑しみを。悪の中の善を。醜さの中の美を。サイコパスの中の良心を。見出すのはいつも自分の心次第なんですね。

見いだせていないとすれば、それは対象ではなく自分自身の問題なのです。神様もきっとそうおっしゃりたいのだと思います。

 

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心を無にする―忙しい日々の合間をぬって座禅を組む安倍首相

安倍晋三(@AbeShinzo)さん | Twitterより


では、チャオ☆

いいこと日記

おもしろき こともなき世を おもしろく

 

夭折した維新の志士、高杉晋作が残した辞世の句とされています。

 

一般的に、日常生活というのは「おもしろきこと」が頻繁に起こるわけもなく、退屈してしまいがちです。何の変哲もない一日を過ごせることは、考えようによっては大変に有難く愉快なものに違いないのですが、日常のさなかに暮らしているうちはそれに気付けないのが人間の性ではないでしょうか。

 

「退屈・・・」「リア充じゃない自分の生活が不満・・・」「Facebookやインスタにキラキラ投稿できない私って、不幸なのかも・・・」そんなボーイズ&ガールズが現代日本の平均的若者像なのかもしれません。

 

さて、そのような欲張りヤング達が幸せを噛みしめるには、いったいどうすればいいのでしょうか。

 

こたえは「いいこと日記」です。

 

「いいこと日記」は、一日の最後に3つだけ、その日にあったいいことを記す日記です。何らいいことなんて起こりませんでしたけど・・・という場合でもひねり出して書くのです。「朝、昨日より早く目覚めた」とか「嫌いな上司が風邪で休んだ」とか、どんなことでもいいので「よかった!」ことにカウントして書くのです。

 

するとどうでしょう、退屈と思っていた毎日の中にもささやかなラッキーが起こっていることに気づくことが出来ます。騙されたと思って1年「いいこと日記」を続けてみれば、365日で実に1,095個もの「いいこと」が自分に起こっていることに気付けるのですから、大きな自信につながるのではないでしょうか。

 

また、この日記の大きな利点として「感謝」の気持ちが芽生えてくることが挙げられます。小さな喜びに感謝、大過ない日々に感謝、ささやかな親切をしてくれた他者への感謝、今ここに命を繋いでくれた親や先祖に感謝、などなど・・・

 

感謝の気持ちは人の幸福に大きな影響を与えるという研究結果もあるようです。

「いいこと日記」は自分の人生に与えられたギフトに気付き、感謝し、幸せになるというポジティブなスパイラルへの入り口なのです。

 

というわけでさっそく私も本日のいいことを記してみようと思います。

1. ラーメンが美味しかった
2. 習い事にサボらず行った
3. 今日の約束事を全部果たした

 


最後に、冒頭の辞世の句には

 

すみなすものは 心なりけり

 

という下の句があります。これは高杉晋作ではなく、彼を看病していた野村望東尼が継いだとされています。

 

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

 

何事も心がけ次第ということですね。

 

では、チャオ☆