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ダァ♪とぁたし(o^―^o)の//ラヴ//日記☆

ぁたしとダァの愛(≧∇≦)のmemoir(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 三日以上続くように頑張ります☆☆(ゝω・)vキャピ

幸せの近道

幸せの定義は人それぞれあるでしょう。私にとっての幸せは自由と自立(自律)が確保された状態で好奇心や探求心を満たす物事に打ち込むことです。他にも美味しいもの食べたいとかドライブしたいとかいろいろありますけど、ひとまずこんなところです。

反対に不幸について考えてみると、幸福よりも単純なパターンしか無いのではないかと思われます。貧困、病気、暴力など身体や生命が脅かされる状態に身を置くこと、自分の尊厳を奪われ、権利が剥奪され、自尊心が保てない状況は誰にとっても不幸といえるでしょう。

事故のように避けられない不幸もあります。病気はいつ罹患してもおかしくないですし、交通事故に巻き込まれて身体に障害を負うこともあるかもしれません。通り魔に刺されて明日死んでしまうとも限りません。ですが、多くの不幸は意識的に避けることが出来るということもまた真理だと思います。

要らぬ不幸を避けるために、ちょっと戦略的に人生を設計すること、それでも避けえない不幸に見舞われたときには、自分の心をなるべく強く保つこと。これが幸福の近道といえるのではないでしょうか。

戦略的に考えるためにも、自分の心を強く保つためにも、物事を多面的にとらえる柔軟な視点と情報、情報に対するリテラシー、そしてそれらを包括する「知性」が重要であると私は考えます。

大変残念なことに、こういった知性が一番必要になってくる人―弱者はおよそそれを手にすることが出来ず(あるいは手にする必要性を感じず)、それとは反対に、特別に必要としなくても十分に幸福な人生を謳歌できるような人―強者ほど手にするのです。
それはまるでお金がお金のあるところに集まるように、情報も知性もそれをもとから手にしている者により集まる仕組みになっているのでしょう。これは、一概に本人のアンテナ感度の良さや意識の高さに還元される話ではありません。いわゆる勝ち組と負け組では、生まれたときからその社会資本の差が歴然としているということの証左なのです。

社会階層によって「意欲」に格差がある。これは社会学的に裏付けられた哀しい事実です。(『階層化日本と教育危機 不平等再生産から意欲格差(インセンティブ・ディバイド)社会へ』刈谷剛彦著)
親の収入≒社会資本の豊富な家に生まれた子は当然遺伝的にも優れた資質を持ち、その優れた遺伝的特質が最大に発現されるような申し分のない環境も手にしています。そんな彼らは畢竟、意欲的に物事に打ち込むでしょう。そして、意欲的に取り組んだことで結果を出し、それが正のフィードバックとなりさらに意欲的になる。
社会階層が低い子どもたちはこれとは全く逆のことが起きるのです。遺伝的云々はここでは措くとしても、貧困家庭、親が罵りあっているような家庭、母子家庭で十分に教育が受けられないような家庭、両親が教育に何ら意義を見出していない家庭に育った子どもたちが、どうして落ち着いて勉学に打ち込むことが出来るでしょうか。そして、学校で落ちこぼれてしまった彼らに正のフィードバックを与える教師は少ないでしょうから、ますます彼らは知性の力を信じないという態度をとることになるでしょう。知性に背を向けて歩くことが、彼らなりの自尊心の保ち方なのではないでしょうか。

知性に反旗を翻すことは、人生に役立つ武器をみすみす捨てていることと同義です。逆に、自分自身で考える力、誰に助けを求めればいいかが分かる力さえ持つことが出来たら、人生の不幸の大半は避けることができるといえます。

私の尊敬する北野武さんの母親、北野さきさんは息子たちに勉強しいい大学に進学することを強制しました。それは勉学こそが貧困を絶つ薬であると確信していたからです。

私はいい大学を出ることが幸せに直結するとは考えませんし、いい大学に行くことが、私の述べてきた「知性」の唯一の証明になるとはいいません。しかし、いい大学に行くことが無駄な苦労を避け、アクセス可能な選択肢を増やすことに繋がることは動かしがたい事実であるといえます。勉学することで様々な知識や情報を得ることは、自分のもつ刃や盾を強化することに繋がるのです。大学に入らなくても学問の仕方さえ覚えれば、それは出来ます。

日本はいま大学進学率が50%だそうです。そして高校の進学率はおおよそ8割以上と記憶しています。ですから、高校教育の質をいかに高めるかに血道をあげるべきなのです。
政府は大学無償化を検討するといっていますが、どうしようもないFランに無料で入学しても意味はないのです。Fラン大学にこれ以上の国費を投じるなんて笑止千万であります。そんなことをするなら、高校の授業をもっとハイレベルにする、また職業訓練的な学校に力を入れるべきと思います。

どうか、底辺高校こそ子どもたちにしなやかな知性を授けるような授業をおこなってあげてください。都立高校の御三家にいるような子どもたちは教師が授業中ずっと鼻くそほじってたって間違った道になんて進みません。なぜなら彼らには社会資本という厚いセーフティーネットがあるからです。

なにも高校で相対性理論量子力学教えろとか最先端のプログラミング技術教えろとかTOEIC900点以上とれる最強の英語理論を教えろとかではないんです。

もっと根本的に、生徒たちが「知性」の強さを信頼できるような授業をしてほしい。わかりやすい言葉にかみ砕いて何度でも教えてあげてほしい。彼らが自分たちの人生の避けられる不幸をかわしながら力強く生きていけるように。

今日はそんなことを考えながらアイス食べたり大学の課題をやったり本を読んだりして過ごした。