溶けない自意識あるいはADHD
ぴえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!
ふう。。。
私は以前から自分がおかしいと思って生きていました。普通じゃない。なんか変わってる。そう思っていました。
小学生くらいは自分がスタンダードというか、他人と比べたりしなかったので、自覚はありませんでした。
ですが、中学校、高校、大学、社会人・・・と求められる「一般像」「女性像」「社会人像」などに上手く適応できていない、合致できない、適応しようと思えない、適応しようとすれば心と脳がどうにも頑なにらめぇぇぇぇぇってなっちゃう自分に気づき自信喪失していく日々でした。
高校生~大学生くらいまでは心理学、脳科学の本を色々と読みました。心理的に問題があるか、脳がぶっ壊れてるかだと思ったのです。そのあとは遺伝に関する本も色々読みました。
私の家族もややOut of baseな人々で構成されており、こんな問題、ふつうの家庭では一つでも起こったら大騒動だよ?っていうことが複数起こっている完全なる機能不全家庭なので、遺伝子的に問題があるんだろうと考えたのです。
心理学的にも、脳科学的にも、遺伝的にも、私がアレな理由は説明が出来そうな気がしました。
ですが、どれも、納得は出来るが腑に落ちないという感覚があったのです。
そんなこんなで私は社会人になりました。
新卒で入った会社でやたらと凡ミスを起こしたのです。
よくよく考えれば、なんでこんなミスが起こるんだ?っていうようなミスです。自分でも「なぜ?」と思うのですが、原因が分からないんです。
だって指摘されるまでミスしていることにすら気づいていないから。
あとは頻繁な忘れ・抜けです。業務フローのどこかが必ず抜けてしまうんです。あと机の汚さもよく指摘されていました。(遠い目)
これは完全に脳がやられてるなと思いました。
藁にも縋る思いでGoogle先生に尋ねたのです。私はどうしてしまったのでしょうか?私はキチ〇イなんでしょうか?
先生のこたえはこうでした。
「もしかして: ADHD」
そのあとは貪るようにADHD関連の情報を漁りました。
当てはまる・・・
当てはまる・・・・・・・
当てはまる・・・・・・・・
当!て!は!ま!る!!!!!!!!!!!!!!
なんということでしょう。心理学、脳科学、遺伝では腑に落ちなかった私のパーソナリティの説明が、「ADHD」というスキームではほぼ100%可能なのです。
そして、私自身が、頭だけでなく身体性をもって納得ができたんです。
とは言うても、自分は普通に働いていますし自活もしてますので、基本的には一般枠の範疇に収まっているのだと思います。標準よりはADHD傾向が強いという程度でしょう。ボーダーライン上とでもいうのでしょうか。
特に医者にはかかってません。もし受診しても、日常に大きな障害は起こっていないのでADHDとは診断されないでしょう。あるいは、医師によっては軽度のADHDと診断するかもしれませんが。
そして診断の有無は自分にとってはどうでもいいことです。医療的にADHDでなかったとしても、ADHD特性がやや強いのであれば、それはそれとして配られたカードで勝負するしかないのですから。
「努力にはベクトルがあり、方向性を間違えれば結果は出ない。勝てる土俵を探し、そこで誰よりも努力しろ。」カリスマ塾講師の林修先生が著書に書いておられました。私も本当にその通りだと思います。
自分の脳の特性に無理のないフィールドで生きることが幸せにつながるんだと思います。
そんなことをふと考えた一日でした。
ルーシー: 時々、なんであんたが犬なんかでいられるんだろうって思っちゃう...
スヌーピー: 配られたカードで勝負するしかないのさ・・・・・それがどんな手札であってもね
せめてテンパイはしたい。それがどんな配牌であってもね。