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ダァ♪とぁたし(o^―^o)の//ラヴ//日記☆

ぁたしとダァの愛(≧∇≦)のmemoir(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 三日以上続くように頑張ります☆☆(ゝω・)vキャピ

トイレの紙様

「私はすべてを手に入れた」

 

そんな傲慢なことを平気な顔して言えるやつは、そう居るものじゃない。

第一そんなことをいくら自分で言ってみたところで、そいつが手にしているものが他人から見てちっぽけなものに過ぎなければ、ただの道化。哀れを誘うだけだ。

 

その点コジマは違った。

 

コジマは実に傲慢なやつだった。ここにいる誰よりも。きっと東京都の誰よりも。

 

だけどコジマが「すべてを手に入れた」と言うときに、あいつを哀れに思う奴なんていない。皆、ちんけなプライドに剃刀で一本線を刻まれたような鋭さのあとに延々と続く鈍い痛み感じながらも、あいつの高慢な言葉を認めざるを得なかった。それくらいコジマは突き抜けていた。

本当に、この世の、おおよそ人間が欲するすべてをあいつは持っていたのだから。

 

そんなコジマが死んだ。

8月のある明け方、あいつは自死を選んだ。

30になる1か月前のことだった。

 

「まだ若いのに」

「人生これからだって時に」

「あんなに恵まれた人が自殺とはね」

 

葬式に集まった連中は言う。顔にはいかにも残念そうな表情を浮かべて。

 

故人を悼む気持ちに嘘はないだろう。

だけど、善良なる彼らの心のどこかから「コジマに勝った」という薄ら醜い鬨の声が聞こえてくるように感じられた。もちろん自分自身の心からもだ。

 

そう。

いくら生前にありとあらゆるものを手にしていたって、死んでしまえば負け組だ。

特に若くして自死を選ぶなんて最大級の負け組だ。

 

この世は長く生き残ったものが勝ちなんだ。

たとえ大した財産を築けなくとも、有象無象のひとりとして生涯を終えるだけであろうとも、長く生きたやつが勝ちなんだ。

 

コジマは死んだ。

 

将来、無機質で機能的な病院のベッドの上で、医者や看護師に手続き的に見守られながら、自分の心臓がまさにいま鼓動を止めたことを知らしめる電子音を、薄れゆく意識の中にかすかに聞くこともできない。

 

ここに集った俺たちはどうだ。

 

俺たちが持っているものをすべて合わせたって、生前コジマが持っていたものには10分の1にも及ばない。だけど俺たちは生きている。これからいかようにも出来るさ。俺たちがあと40年も生きれば、コジマの持っていたものにだって届くかもしれない。

そんな精神の高揚が、細胞の昂ぶりが、参列者の少ない葬式会場を満たしていた。

 

だけど本当は皆も分かっていたに違いない。

俺たちがたとえあと何十年生きたところで、あいつの足元にも及ばないってことが。

あいつが30目前に自死した事実をもってしても、あいつの人生は燦燦と輝いていた。地を這うように生きる俺たちには一生たどりつけない頂で、あいつは確かに祝福を受けていたんだから。

 

夜になっても地上の熱は一向に引いていかない。まるで行き場所を無くした人間があてもなく街を徘徊するように、ドロドロと滞留している。

 

俺は葬式から帰るなり、すぐに床に就いた。早く眠ってしまいたかった。なんなら一生眠り続けたい。なのに頭はいつも以上に冴えて、今日一日のこと、コジマのこと、思い出という感傷的な単語でタグ付けするまでもない記憶が、火花みたいに瞼の裏でバチッと弾ける。

 

よ、ナガノ

 

よく通る声、自信に満ち溢れた、人をイラつかせる、俺たちの心の仄暗い部分に土足で踏み込んで、100万ワットで照らすような声。

 

コジマ

 

卑屈で、怒りの混じった俺の声。絶望のすぐ隣で、あわよくばお前を引きずり込もうと手ぐすね引いてる俺の声。

 

その醜さにぞっとして悲鳴をあげて飛び起きると、あたりはすっかりと明るくなっていて、1週間前の今日と、あるいは1年前の今日とも取り換え可能な一日がまた始まった。

 

コジマ、あいつは本当に死んだのか。

昨日の葬式が、まるで10年以上も前のことのようにも、まるでまったくのフィクションのようにも感じられて、スマホを確認してみた。確かに仲間たちとの葬式に関するやりとりが残っていた。

ああ、本当に死んだのか。

 

寝汗でぐっしょりと濡れた寝巻のTシャツを床に放り、ベッドから這い出る。

 

コジマは本当に死んでいたんだ。スマホに残された仲間たちとのやりとりに裏付けられたその事実に、安堵のような不思議な感覚を覚える。ふわふわと、まるで宇宙船のなかを漂っていたような心細い心身が、ようやく重力のなかに着地したような感覚だ。

 

安心感が全身を弛緩させ、俺は便意を催した。

 

近しい人間が死にその葬式に参列した後にする生理的な行為ほど、人に強く生を意識させるものはない。そんなことをふと考えて、俺は便座の上の哲人とでもいった風だ。

 

さて、生理現象も終わり尻を拭こうと右方向に目をやる。

 

ない。

 

紙がない。

 

同居人もない狭いアパートの、風呂トイレ同室。そのままシャワーで洗い流しても良かったのに、どうにも気が進まない。俺のようなウジ虫にも意地があるのだ。便所のあれやこれやの機能に偏執的なまでにこだわる国の民として生を受けた者の、干からびたへその緒のようなプライドだ。

 

さてどうするか。一瞬の思案の後、俺はいつになく良いアイデアを思い付いた。

 

親元を離れて遠い異国へ嫁に行く少女の、決意と諦念と気負いが綯い交ぜになったまなじりのごとく、キュッと、肛門括約筋を締めて立ち上がり、歩みを進める。狭苦しいアパートの狭苦しい居室の奥に、埃にまみれた本棚。その一番上の左の奥に仕舞い込んだ青春の残骸を取り出した後、達成感で括約筋を緩めないように注意を払い便所に戻る。

 

コジマ

 

俺は心でやつに呼びかける。手に持った、変色した紙切れを、今生の別れと今一度眺めながら。

 

あいつが拘った色使いも、経年によって見る影もない。あいつはゴッホでもなければルノワールでもなかった。往年の名画家ならいざ知らず、他人より少しばかり才能があった程度の子どもが戯れに描いた絵なんてものは徹底的な管理下に置かれるはずもなく、十余年の時間のなかで朽ちていった。

 

ナガノ いつか高値で売れる日が来るからそれまで持ってろ コジマ

 

どこまでも傲慢なやつだ。

裏面にでかでかと書かれた文字はまるで昨日書いたかのように、黒々とインクが乗っていた。コジマの高慢さが、時空を超えて、たとえ本人が死んでも生き続けてやると声高に主張しているようで辟易した。

 

その声をかき消すように俺は渾身の力でもって紙をこすり合わせた。

ただでさえ萎びていた紙は、ほんの少しの労力で尻を拭ける程度の軟度になった。

 

さよならコジマ

すべてを持っていたのに自死を選んだコジマ

俺が出会った誰よりも傲慢な人間

成仏してくれ。いや、お前ならもう今頃どっかの赤ん坊に乗り移って新しい人生を始めているかな。

 

生前あいつとの交流のなかでは一度たりとも芽生えなかった感情―寂寞あるいは友情が胸に去来する。

あいつがおれに遺した唯一のもので汚れた尻を拭く。拭う。何度も。何度も。友情なんて湿っぽい情感が俺たちの間にあったんだ。涙なんかは出ない。ただ汗が、額から頬の横を伝って床に落ちる。

 

ほんの数秒が何十時間にも何十年にも感じられたのは、この時が初めてだったかもしれない。今後こんな瞬間は俺の人生にまた訪れるのか。

 

ふう。

 

少しだけ開いた唇から、短く息を吐き出す。

 

さあ最期の時間だ。

 

水栓レバーを「大」の方向に、ほんの少しの躊躇いと、大いなる自由への逃走の期待感で一思いに傾けた。

 

何リットルもの水が勢いよく流れ出し、汚物と青春の残骸とを連れ去った。

 

解放、達成感、妙にすっきりとした心持ちで、目を瞑りしばし立ち尽くす。

人生の一つの章が終わりを告げたような清々しさに少しだけ身を預けていたかった。

 

水の流れる音が段々に小さくなっていく。

そろそろ次の章をスタートさせなければ。あいつは死に、俺は生きている。

次章を紡ぎだすのは生きる者の特権だ。

 

水の動きが完全に収束し、ナガノは目を開ける。

入居以来、何百回と眺めた便所の壁も、今日はどことなく他人行儀に感じられた。

 

 

人生の次なるステップを踏み出そうとする者は、だいたいにおいて、来た道を振り返ったりしないものだ。

なぜなら勇気ある彼らが見たいのは己が未来―輝かしい栄光の未来だけだ。すぐに未練がましく過去を振り返ることに、なんの価値があるだろうか。

そして神は、かような若者を祝福する。たとえ先々に試練を与えたとしても、彼らの勇気と若さを愛するのだ。

ナガノは果たして神の愛を勝ち得ることのない人間だ。この人間はといえば、過去を断絶して新たな世界を切り開く力強さを持たず、名残惜しそうに、半歩進んだだけでこれまでの道を振り返ってしまうような体たらくだ。

小心で、若者の特権たる大胆さや向こう見ずの欠片もなく、持たざる己を省みることもなく、ただ指を咥えて持つ者を見上げる。あわよくば彼ら持つ者の凋落を、ひそやかに願いつつ。

 

ナガノは今日、またもや振り返ってしまった。

次章をスタートさせると意気込んだにも関わらず、水底に目を落としてしまったのだ。

 

彼は新たな幕開けの予感を自ら台無しにしてしまった。また重苦しい透明の緞帳が舞台に降りる。本人はそれと気づくことなく。

 

ナガノは「俺はこれから何処へでも行けるのだ」と思っているだろう、そして同時に、袋のネズミに過ぎないことも心の深奥では察している。ナガノとは利口にもなりきれないが、愚かにもなりきれない、まさしく有象無象の一人なのだから。

 

水底に落とした目線の先に、身軽に舞い戻ってきた紙をナガノは見つけた。

まるで砂漠でカラカラに乾ききった青春の残骸が、水を得て、息を吹き返したかのように、どこか楽し気に、どこかナガノをからかっているように、狭い水たまりのなかでひらひらと泳いでいた。

 

もう一度水を流そうか、否

ナガノはそっと便座の蓋を閉じる。

 

結局持つ者は死んでも覇者なのか。持たざる自分は死んだ覇者への憐憫の情を、わが人生の再生の力点にも置けないのか。馬鹿、支点もなかったのが俺の人生じゃないか。ナガノは嗤った。

 

冬の気配が忍び寄る晩秋のある日、初老の夫妻がナガノの部屋の前に立ち、部屋の中に呼びかける。

家賃が2カ月も滞ってるものだから、不動産運用を唯一の食い扶持としているこの夫婦としては気が気ではない。ナガノから取り立てが出来るかどうかだけの問題ではない。

中で死なれでもしていたら、次の借り手がつかなくなるかもしれない。そうしたらお前、県外の息子の名義を借りて一度入居したことにしてもらおう。

そうしなければ、事故物件として「告知事項あり」と明示しなけりゃならなくなっちまう。

 

夫婦の呼びかけにもまったく反応がない。ドアの向うの生活感のなさが漏れ伝わってくるようで不気味だ。

夫はドアの前に妻を残すことにした。合鍵を使って恐る恐るドアを開け室内へ入る。

 

誰もいない。

 

異臭もなく、大家はほっと胸を撫でおろして妻を呼ぶ。

 

お父さん、これ何のゴミかしら。

 

妻がトイレから夫を呼ぶ。大家が駆け付けるとくしゃくしゃと丸まった紙切れが、水の中に漂っていた。

すべての動的な予感が消え、真空になっていたような部屋で、唯一、このゴミだけが有機的に感じられた。

 

きたねえな、ごみを便所に流したら詰まっちまうだろうに。

 

住人が消え去った部屋で、大家は苛立ちを隠さない。

畜生。家賃も払わずにとんずらしやがって。

 

それから数日で部屋はすっかり掃除され、遺留物はすべて処分された。

借主の身元は家族ではなく保証会社によって保証されており、その企業が滞納されていた家賃と遺留物の処分代を支払った。

明日からはまた不動産屋に、この部屋の賃貸情報を公開するようだ。