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ダァ♪とぁたし(o^―^o)の//ラヴ//日記☆

ぁたしとダァの愛(≧∇≦)のmemoir(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 三日以上続くように頑張ります☆☆(ゝω・)vキャピ

決断の仕方

ADHD傾向がある人が人生の大切なことを決める時の方法について、現時点で最適解と感じること。

 

それは、ありきたりですが

「興味があるか」に従って決断すること。

 

なぜか。

 

様々な人が言っている通り、ADHDをはじめ発達障害の傾向がある人の特性として、自分が納得しないと動かない(動けない)、興味のないことは続かないということがあります。

特にADHDは興味がないことにはびっくりするほど "やっつけ感" が出ます。ダダ漏れに漏れてしまうのです。

 

そして、特性を自覚されている方であればお判りでしょうが「興味がないけど『仕事だから』やる」という高度な自己統制力はADHDにはほぼ備わっていません。

 

義務感で身を律することが難しい。残念ながら脳の仕様のようですのであきらめましょう。

 

従いまして、なにか始める時、なにか変える時、なにか決断する時は「興味がある」をベースに決めていく方が、自分も比較的に幸せですし何より周りに迷惑をかけることが格段に減ると思います。

 

興味があることが何もない場合(そんなことはあまりないと思いますが)、あるいは興味のあることのハードルが高い場合。

 

興味あることない→出来れば見つけてほしいですが、無理な場合、時間がかかる場合は、ひとまず「これならまあやってもいいか」くらいのハードルを越えていただければOKです。間違ってもあんま興味ないけど給料がいいとか条件が良いみたいな選び方はやめたほうがいいです。絶対に開始早々飽きます。そしてやっつけクオリティになります。

 

興味あることのハードルが高い→興味あるのがアーティストとかGoogle社とかの場合、ダイレクトにそこに到達できれば万々歳ですが、それが出来ない場合の方が多いと思います。その際は、まず要素を抽出してください。

ex) アーティストなりたい→なぜ?→絵を描くのが好き→絵を見るのは好き?→見るのも大好き→画廊、美術館などに勤めるなど

 

ゲームが好きだから任天堂に勤めたい→GEOの店員

最終的にたどりつく場所はこのくらいかい離があったとしても、いいいいいいいいいいいんです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

時給が良いからって居酒屋で働くよりはよっぽど身を入れて仕事が出来るはずです。

 

とにかく興味です。一にも二にも興味です。興味がないことを続けられるほど器用ではないことを思い出してください。あなたの成績書を思い出してください。興味のない教科、きっと「もうすこし」「可」「C」だったはずですよ。反対に興味がある教科はどうでしたか?きっと「たいへんよい」「S」「A」「優」だったのではないでしょうか。

 

興味です。興味があなたを正しい道に導いてくれるのです。

※個人差がありますのであしからず

お酒が入った時に分かり合えたと思ってもシラフに戻るとそれが夢だったことに気づいたりする

お酒が入るとついついテンション上がって、話も合うし、一緒にいるのがサイコー!と思える相手に出会ったときは要注意。

 

その人に対するその気持ち、シラフの時も変わりませんか?

 

深夜2時の新橋では運命の相手に感じても、翌朝目覚めたときには魔法がすっかり解けている。そんなもんです。

 

午後2時の中目黒では、きっと二人は話すこともそんなに無くて、早く夜が更けないかしらなんてお互い心の中で思ってる。

 

そして夜7時に飲み屋に行って、やっと運命の相手に再開できる。

 

一番ヤバいのは酔った勢いで一線超えちゃうこと。お子を授かったらもう大変。入籍して現実の中で生きるよりは、子への責任を果たす自立した男女として薄く縁を繋いでいる方がよっぽどいいだろうね。

 

飲まなきゃ分かり合えない相手と結婚したって早晩壊れてしまうだろうから。

咲ちゃん結婚おめでとう♪

最近気づいたこと。

武井咲ちゃんとベネディクト・カンバーバッチは似てる。口元が。

 

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眞子様と婚約者は似てる。全体的に。

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人間は自分に似た顔に惹かれる傾向がある。(自分に似た顔で上位互換であれば尚可)

 

それはクエンティン・タランティーノがユマサーマンを女神のように崇拝していることからも明らかである。(同じくタラに寵愛された栗山千明もタラ=サーマンに似ている)

 

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ホワイトで働いてもツライってことは根本的に社会生活に向いてないってことなんだ

もう働きたくないな...


平日の朝

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退勤時刻

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帰ってきてすぐ

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寝る前

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朝起きてすぐ

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金曜日の朝

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金曜日の夜

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休日の朝

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休日の昼

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休日の夜

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日曜日の夕方

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日曜日の夜

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幸せの近道

幸せの定義は人それぞれあるでしょう。私にとっての幸せは自由と自立(自律)が確保された状態で好奇心や探求心を満たす物事に打ち込むことです。他にも美味しいもの食べたいとかドライブしたいとかいろいろありますけど、ひとまずこんなところです。

反対に不幸について考えてみると、幸福よりも単純なパターンしか無いのではないかと思われます。貧困、病気、暴力など身体や生命が脅かされる状態に身を置くこと、自分の尊厳を奪われ、権利が剥奪され、自尊心が保てない状況は誰にとっても不幸といえるでしょう。

事故のように避けられない不幸もあります。病気はいつ罹患してもおかしくないですし、交通事故に巻き込まれて身体に障害を負うこともあるかもしれません。通り魔に刺されて明日死んでしまうとも限りません。ですが、多くの不幸は意識的に避けることが出来るということもまた真理だと思います。

要らぬ不幸を避けるために、ちょっと戦略的に人生を設計すること、それでも避けえない不幸に見舞われたときには、自分の心をなるべく強く保つこと。これが幸福の近道といえるのではないでしょうか。

戦略的に考えるためにも、自分の心を強く保つためにも、物事を多面的にとらえる柔軟な視点と情報、情報に対するリテラシー、そしてそれらを包括する「知性」が重要であると私は考えます。

大変残念なことに、こういった知性が一番必要になってくる人―弱者はおよそそれを手にすることが出来ず(あるいは手にする必要性を感じず)、それとは反対に、特別に必要としなくても十分に幸福な人生を謳歌できるような人―強者ほど手にするのです。
それはまるでお金がお金のあるところに集まるように、情報も知性もそれをもとから手にしている者により集まる仕組みになっているのでしょう。これは、一概に本人のアンテナ感度の良さや意識の高さに還元される話ではありません。いわゆる勝ち組と負け組では、生まれたときからその社会資本の差が歴然としているということの証左なのです。

社会階層によって「意欲」に格差がある。これは社会学的に裏付けられた哀しい事実です。(『階層化日本と教育危機 不平等再生産から意欲格差(インセンティブ・ディバイド)社会へ』刈谷剛彦著)
親の収入≒社会資本の豊富な家に生まれた子は当然遺伝的にも優れた資質を持ち、その優れた遺伝的特質が最大に発現されるような申し分のない環境も手にしています。そんな彼らは畢竟、意欲的に物事に打ち込むでしょう。そして、意欲的に取り組んだことで結果を出し、それが正のフィードバックとなりさらに意欲的になる。
社会階層が低い子どもたちはこれとは全く逆のことが起きるのです。遺伝的云々はここでは措くとしても、貧困家庭、親が罵りあっているような家庭、母子家庭で十分に教育が受けられないような家庭、両親が教育に何ら意義を見出していない家庭に育った子どもたちが、どうして落ち着いて勉学に打ち込むことが出来るでしょうか。そして、学校で落ちこぼれてしまった彼らに正のフィードバックを与える教師は少ないでしょうから、ますます彼らは知性の力を信じないという態度をとることになるでしょう。知性に背を向けて歩くことが、彼らなりの自尊心の保ち方なのではないでしょうか。

知性に反旗を翻すことは、人生に役立つ武器をみすみす捨てていることと同義です。逆に、自分自身で考える力、誰に助けを求めればいいかが分かる力さえ持つことが出来たら、人生の不幸の大半は避けることができるといえます。

私の尊敬する北野武さんの母親、北野さきさんは息子たちに勉強しいい大学に進学することを強制しました。それは勉学こそが貧困を絶つ薬であると確信していたからです。

私はいい大学を出ることが幸せに直結するとは考えませんし、いい大学に行くことが、私の述べてきた「知性」の唯一の証明になるとはいいません。しかし、いい大学に行くことが無駄な苦労を避け、アクセス可能な選択肢を増やすことに繋がることは動かしがたい事実であるといえます。勉学することで様々な知識や情報を得ることは、自分のもつ刃や盾を強化することに繋がるのです。大学に入らなくても学問の仕方さえ覚えれば、それは出来ます。

日本はいま大学進学率が50%だそうです。そして高校の進学率はおおよそ8割以上と記憶しています。ですから、高校教育の質をいかに高めるかに血道をあげるべきなのです。
政府は大学無償化を検討するといっていますが、どうしようもないFランに無料で入学しても意味はないのです。Fラン大学にこれ以上の国費を投じるなんて笑止千万であります。そんなことをするなら、高校の授業をもっとハイレベルにする、また職業訓練的な学校に力を入れるべきと思います。

どうか、底辺高校こそ子どもたちにしなやかな知性を授けるような授業をおこなってあげてください。都立高校の御三家にいるような子どもたちは教師が授業中ずっと鼻くそほじってたって間違った道になんて進みません。なぜなら彼らには社会資本という厚いセーフティーネットがあるからです。

なにも高校で相対性理論量子力学教えろとか最先端のプログラミング技術教えろとかTOEIC900点以上とれる最強の英語理論を教えろとかではないんです。

もっと根本的に、生徒たちが「知性」の強さを信頼できるような授業をしてほしい。わかりやすい言葉にかみ砕いて何度でも教えてあげてほしい。彼らが自分たちの人生の避けられる不幸をかわしながら力強く生きていけるように。

今日はそんなことを考えながらアイス食べたり大学の課題をやったり本を読んだりして過ごした。

自閉症スペクトラム症候群

掲題、いわゆるアスペルガー症候群についての知見。

アスペルガー症候群というのは、一般にコミュニケーションや社会性に大いに障害があるとして認知されております。
人の気持ちが分からない、空気が読めない、他者を(心理的にも物理的にも)傷つける etc.

確かにそれは一部事実でして、基本的に他者との関わり方がかなり特徴的な人々なので、周りが振り回されがちというのは当てはまるでしょう。
空気も読めない(読まない)ですし、なぞのこだわりが強いことも彼らの特性の一つです。(あ、でも傷害や殺人といった重大な犯罪と親和性があるとかは認めたくないです。たぶん自閉症スペクトラム障害とは違う因子が(も)関係していると思います。)

今日はアスペルガー症候群の人達の魅力について書いてみたいと思います。

1. とても真面目で誠実である
アスペルガー症候群の人は基本的に超まじめです。また、これは「こだわり」にも通じるのでしょうが、自分が伝えようとする意図を「完璧に」正しく伝えようとする傾向があります。
ちょっとした言い間違いや、自分の中での言葉の選択ミスがあった場合、「これは〇〇という意味です」とかなり精確に言い直します。聞いてる方は「そんな小さなことでこだわらなくても・・・」と思う時もあるのですが、なかなかに誠実で好ましい印象を受けます。

2. 人との交流を求めていないわけではない
本での知識だけだったときは、アスペルガー症候群の人は他者との交流を求めていないと思っていました。でも違うのです。彼らは不器用なりに、他者との心的な交流を求めています。(もちろん、自閉度が強い場合などはこの限りではありません)
アスペルガー症候群に限らず多くの発達障害の人々は、今までに様々な場面で排斥されてしまったり、からかわれてしまったり、失敗してしまったりで自己肯定感が低い傾向があります。
もちろん、恵まれた環境で自分の特性に10,000%正直に生きてきたタイプは自己肯定感も高いでしょうが、そんな人は提携発達であっても全体のうちのほんの一握りでしょう。いわんや発達障害者をや、です。畢竟、彼らは心を閉ざしていたり、失敗を恐れて人間関係を築くことを諦めたりしています。
そんな彼らを遠巻きに見ていると、「おや、テキさんなかなか閉じてやがるな」と思ったりするのですが、人間ですからね自閉症も。友人が欲しいとか恋人がほしいとか、思っているんですよ。気にかけられれば、それが過度でなければ嬉しいし、無視されたり嫌味言われたりすれば傷つくんです。
そして、彼らは表情に乏しいので、うれしい(^◇^)、楽しい(*^^)v 大好き(*´з`) みたいな表現がなされず、提携発達の方々からすると、「あれ、あたし悪いこと言っちゃった?」「やば、地雷踏んだか」「なんか怖い、関わらんとこ」ってなってしまいがちです。でもね、内心では喜怒哀楽が渦巻いているのです。人間だもの。

もっと書きたかったのですが、ADHD脳ではここが限界です。飽きてきて頭が働かなくなってきてしまいました。

要するに私が言いたいことは、発達障害だからといって心がないわけではないってことなんです。入出力の仕方がマジョリティの方法とは違うだけで、彼らも彼らなりのやり方で人を愛しているし慮っているんです。

アスペルガー症候群の人は本当に大変だろうなと思いながら、それでも懸命に生きてる彼らのいじらしさや真面目さが本当に愛しくも感じます。

定型発達者に善人も悪人もあるように、アスペルガー症候群にも善悪があります。ですので、アスペルガー症候群がみな良い人と言うつもりはありませんが、あまり誤解をされないようにしてほしいなと思ってます。

彼らが不当に貶められないように、もっと理解が進んでいくといいなと思います。

最近、発達障害については本当に環境次第だと思っています。確かに著しく自閉度が高い自閉症スペクトラム障害の当事者や、著しく社会適応が(というより会社適応が)困難なADHDも居ますので、そういう場合は環境云々では片づけられない問題もあります。
ただし、軽度や中等度の発達障害に関しては、環境とうまくマッチが出来れば「障害」という枠組みで捉える必要が無くなる場合も多いのです。そこが定量的に可視化できる他の障害と違う困難さでもありユニークさでもあるのですが。

個人的な経験から申しますと、自分の生きるべき水辺を見誤るとDeathです。
私の場合、臨床心理士さんにも言われましたが職場環境次第でまたADHD状態になるよとのことです。

要するに発達障害であれ定型発達であれ、みな、それぞれの特性(遺伝子と言い換えてもよろしいでしょう)をのびのびと活かせる環境で、なるべく幸せに生きてほしいということなんです。

特に、自分ってなんか凸凹激しいよなあと思う人はマジで環境にはこだわって欲しい。「標準」に何ら心理的圧迫やら摩擦やらを感じずに馴染める人はいいんです。割とどんな環境でも不適応起こさずに暮らせると思います。
でも、そうじゃない、「標準」「普通」「世間」「空気」に馴染もうと思えば思うほどに、自分の内面に不穏な波が寄ってきてしまう人は他に何を捨てたとしても環境にはこだわって欲しい。そして自分のクセを受け入れて、折り合いのつく場所を探し続けてほしいのです。ジョブズおじさんも言ってました。Keep looking, don't settle.

とにかく今は日本の教育から見直してほしいと思っています。公立にしか通えない子で発達障害を持っている子に、彼らの才能の種を摘み取るようなことはしてほしくないのです。

あとIQ問題もあって、こっちにも色々と思うことがあるのですが、とりあえず今日はちょっと飽きたんでこの辺で。

lol

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1. 焦っている

→ まあ焦っている

 

2. 結婚を急かしている

→ 相手いないんで・・・

 

3. 見切りをつける

→ 見切りをつける相手がいないんで・・・

 

4. 高望みしない

→ 平凡

 

5. 変えられるところは変える

→ 変える相手g